私の模型暦(1)

私が影響を受け、模型飛行機の師匠でもある
父のことから
「私の模型暦」は始まります。

父はこんな人でした。

この写真は父の残したアルバムの中のものです。
私が生まれる以前(1951年頃)の父の工作室です。手前よりデボルト設計の有名な「スタントワゴン」、「バンスターマー」、「ピッツスペシャル」・・・と続きます。手に持っているのが1951年日本模型飛行機競技連盟公認記録95.7マイルでAクラスオープン級優勝を飾ったKOスペシャルエンジン搭載の「スピードワゴン20」です。
後に、この写真を見たのがきっかけとなり、「いつかは、親父を超えてやるぞ!」と模型づくりに自然と熱が入っていました。

この写真は1965年(昭和40年)頃で父と共にラジコンを飛ばしに行った時のものです。
飛行機はケイ・アンド・ビー19エンジン搭載の「タウリー」です。整備する父の横で飛行機に見入る少年が私です。当時のラジコン機は胴体の中にぎっしりとメカが詰め込んであったのを記憶しています。

私のエンジン付模型の第一号機はエンヤ049装備のフリーフライトのヘリコプターでした。
中学生だった私はこの飛行機の製作を通して父より、3面図の見方から始まり、材料の切り出し、組み立て、ハンダ付けのテクニック・・・と、模型作りの面白さを教えてもらいました。エンジンのトルク反動を利用したローターの回転と、遠心力を利用したローターの可変ピッチは、当時の私にとって感動ものでした。

左の写真は私が中学時代にパイロットのキットから作った、初めてのUコン機セミスケール「エアロスバル」です。自分なりに良く出来ていたつもりですが、父のアルバムにあった父が初めて作った「F51ムスタング」(右の写真)と比べると工作技術は、はるかに父の方が上でまだまだ修行が足りないことがわかります。

高校時代は、模型仲間も増えてほとんどUコンばかりやっていました。勉強より飛行機優先の毎日だったと思います。当時、シンナー(アセトンやラッカーシンナー)を購入するのに印鑑が必要だった時代(シンナー遊びをする非行少年が多かった)でしたが、毎月のように空き瓶をもって塗料屋さんに行くうちに顔パスでシンナーを買うことができ、なぜか優越感があったのを憶えています。

大学生になって、ちょっとだけラジコンもかじりました。写真はベコー19を搭載し、パイロットのキットより製作した「ファイター20」です。

その後、1979年になって、友人の誘いで千葉(幕張)で開催されたフリーフライト競技会を見に行き、「F1C」の迫力に魅せられて、本格的にフリーフライトを始めることになるのです。

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